諦めと受容って紙一重で自分の気持がどっちか分からなくなる時がある
こんにちは!ぽちママです。
昨日のブログでも書きましたが、息子と娘、思春期&反抗期で私は結構大変です。
息子はまともに口を開かない、開いたとしても余りにも小声すぎてほぼ聞こえない。 娘は機嫌の良い時は良いけど悪い時の反抗具合がすごい。
クッソ〜!!って思うことが毎日高頻度で起こります。
怒って解決できるようなことではないので何とか気を静めるようにしているのですが、半分諦めの気持ちもあることに気が付いたんです。
順調に成長している証だと受容する気持ちと、怒ったって解決しないし好きにしてくれという諦めの気持ち。
これって紙一重だとは思うんですけど、もはや自分でもどっちなのか分からない時が多くて困るんです。
こんなことを書きながらTwitterを見ていると、本当に私ってまだまだ修行が足りないと身にしみて思い、自分に残念な気持ちにもなったり・・・。 (Twitter見てないでとっととブログ書けって言われそうだけど)
車の免許を取りに自動車学校に通い始めた頃は、運転できる人みんなが天才だと思いました。 保育園に通わせていたときは、朝にこやかに「おはようございます♪」と言ってくれるお母さんって聖母マリアだと思いました。
そして今はTwitterの中の保護者の方々が仙人にさえ思えてきます。
話は戻りますが、諦めと受容。 「諦めたらそこで試合終了だよ。」とスラムダンクで安西先生が言ってたのとふと思い出しました。
でも子育てしていると自分が諦めたことを受容しないといけないことがあると思うんです。 ”何を” 諦めるか。 きっと子どもに自分の思いを汲んでもらうことを諦めること。 ”何を” 受容するか。 私の思いを子どもに汲んでもらうのを諦めることを受容すること。
あ、そうか。 反抗期って私が諦めを受容するために存在するんだ。
いつ終わるとも分からない子育てのもどかしさ。
さてさて私は悟りを開いて仙人になれるのでしょうか。