猫を飼い始めて2週間

こんにちは!ぽちママです。

 

我が家は最近、猫を飼い始めました。

それは娘を一人にしたくなかったから。

 

娘は自傷行為をします。

それをやるのは必ず一人の時。

だから娘が一人だと感じないようにしてあげたい、そう思ったからです。

 

最初は息子が猫を飼うことを反対しており、家族全員の同意を無理やり取ろうとはしなかった娘は「ハリネズミ」を飼うことを提案してきました。

娘が望むことがなるべく叶えてあげたいと思い、なんとか息子を説得し「ハリネズミ」飼育の承諾を取りました。

でも実際に触るハリネズミはイメージはちょっと違っていて、娘の心を癒せるか?というと疑問しか湧きませんでした・・・

なのでフェレットに白羽の矢を立て、息子に再度交渉。

息子から承諾を得たものの、フェレットの生態を調べてみると「これ無理でしょ」と私が断念。

そしてまたしても息子に交渉。

フェレットの生態、猫の生態、そして心の癒やしになるのはどちらか、などなどを説明。

そして数ヶ月に渡る交渉の末、息子が猫を飼うことに同意してくれました。

 

時期的にも譲渡会があちこちで開催されていたので早速譲渡会に参加し、猫2匹を我が家に迎え入れることができ、現在に至っています。

 

我が家は脱走防止の観点から、猫は娘の部屋にいます。

娘の部屋にゲージもトイレも置いて、すべての事柄が娘の部屋の中だけで完結できるようにしてあります。

最初こそ夜泣きもあり、娘も猫のいる生活で落ち着かなくて、可愛いけどしんどいという日が続いたようです。

でも今は娘なりに猫との距離を調整しながら生活できるようになってきました。

 

あっ、もちろんほとんどの世話は母親である私。

最初からすべての世話を娘にさせる気などありませんでした。

娘は良い所取りしてくれれば良いんです。

まずはすべき事より心を癒やすこと。

これを大切にしてくれれば私は本望です。

唯一続けていた習字も辞めた話

こんにちは!ぽちママです。

娘が完全に学校に行かなくなって2ヶ月が過ぎ、夏休みに途中にしました。

 

娘は学校に行けなくなってからも習字だけは好きで続けていたのですが、ついには習字にも行けなくなり、一旦お休みすることになりました。

 

土曜日のたびに「今日は行けるかな・・・」とソワソワしていた頃がもはや懐かしい。

最後は習字の先生とも話し合い、展覧会に出品する作品だけを仕上げて切りよく終わることに。

 

つけペンや行書が楽しいと、中学生になった頃あんなに喜んでいたのにな。

家でも楽しそうに習字を楽しんでいたのにな。

 

果たしてこれが正解だったのか不正解だったのかは分かりません。

ただ、今の娘は習字に行けない、それだけは確かでした。

 

本当に娘が習字が好きだったら、いつかまた書き出すんだと思います。

そう思って、私の希望は横に置いておいて、今の娘が少しでも心穏やかに過ごせるように見守りたいと思います。

生きて義務教育を終えること【娘の不登校】

こんばんは、ぽちママです。

随分とブログをお休みしてしまいました。

Twitterではずっとツイートしていましたが、実は娘も不登校になりました。

行ったり、行かなかったり。。。

卒業式は一度も練習に参加しませんでしたが、なんとか卒業式だけは無事に終え、今は春休みを私の実家でゆっくりと過ごしています。

 

不登校のキッカケは人間関係でした。

冬休みに入るまではクラスの子たちと仲良くやっていました。

ですが、冬休みに入った初日、トラブルが起きました。

それは一緒に遊んでいた子が骨折をしてしまったこと。

多分人一倍トラブルを乗り越えるために頑張ったんだと思います。

その結果、娘のキャパを超え、周りの子達が引くほど一部の男の子と喧嘩をしてしまい、その男の子に避けられるようになり、次第に他の子にも避けられるようになり・・・。

そして気がつくと周りの女子とも微妙な空気になっていたようです。

 

娘はなんとかそれを解決しようと、1ヶ月位は私に何も言わず頑張っていたようです。

でもうまく解決できず、人間不振に陥り、少しずつ学校を休み始めました。

ですが何度も自分を奮い立たせ、登校する日もありました。

そして人間関係を回復すべく、頑張っていたようです。

ですがうまく行かず、結局は心が折れ、最後はまったく登校しませんでした。

 

ですが今回判明したことが沢山ありました。

それは4年生のときに仲が良かった男の子に突然虐められたことがずっと娘の心の傷になっていたこと。

そしてその頃から自分の体を傷つけるようになっていたこと。

娘の精神年齢が高く、実は他の子たちとうまく遊べないこと。

他の子たちが楽しいと思うことを楽しめず、冷めた目で見ていたこと。

ずっとずっと、娘は周囲の子たちと自分の差を感じ、違和感を抱いていたこと。

 

結局はその違和感がずっと娘を苦しめ続けており、その結果が今回のトラブルにもつながり、そして人間関係が悪化し、学校に行けなくなってしまったということだと思います。

 

娘がそんな状況だということにようやく気がついたダメ母な私。

娘はもっと早くからSOSを出していたはずなのに気が付かなかった鈍感な私。

もっと早く娘の苦しみに気づいてあげていたら。。。

 

児童精神科で診察を受けたところ

「娘さんは中学校生活は厳しいと思う。」

とハッキリと言われました。

先生がそう断言されるほど、娘は苦しんできたし、これからも苦しむんだろうと思います。

とにかく一日一日を生きのびること。

息子と同じく、生きて義務教育を終えること。

ここを目標に、これからは娘に寄り添っていきたいと思います。

祝!卒業

こんにちは!ぽちママです。

お久しぶりです。

色々あってなかなかブログの更新が出来ませんでしたが皆様お元気でしたでしょうか。

我が家は娘の不登校、夫の頚椎ヘルニアで家族が大変でしたが、息子は至って安定しておりました。 私はアドレナリン全開で頑張ってましたよ〜。

娘の不登校、夫の頚椎ヘルニアはまた改めてブログに書くとして、今日は息子の卒業について書きたいと思います。

息子の卒業式。 もちろん全体での卒業式はパスした息子。 ですが息子のような不登校生徒のため、午後は特別な卒業式を学校が準備してくれていました。

こちらが希望した時間に学校に着くと早速担任の先生のお出迎え。 すぐに控室で証書受け取りの練習。 そして案内されて応接室へ。

入るとびっくり! 息子の席、その後ろに保護者の席が準備され、先生方が沢山集まってくれていました。 開式の言葉、一同礼に始まり、先程練習したばかりの卒業証書授与、そして閉式の言葉、退場。 一人だけの卒業式なのであっという間に終わりましたが、学校からのお気持ちがとても嬉しく感じました。

その後また控室に戻り、担任の先生と少しだけお話。 息子の高校生活についてや息子の夢について、そして今後は自己コントロールして単位を取得していくこと、それについて息子が思っていることなど。 たどたどしい言葉ながら息子なりに先生との最後の会話を一生懸命こなしているように見えました。

最後に校門のところで息子と夫と私で写真撮影。 そしてもちろん息子と担任の先生と写真撮影。

結局卒業アルバムを購入しなかった我が家にとって、中学生活の息子の写真は入学式と卒業式だけ。 でも最後の写真はなんとなく晴れ晴れとした写真になったような気がします。

小6の2月に立てなくなり、 中学校入学式の5日前に松葉杖で歩けるようになり、 中1の夏休みに松葉杖なしであるけるようになった息子。

そして中1の10月から学校に行くことをやめ、 中2の1学期末から一人で通知表をもらいに行けるようになり、 卒業アルバムの写真撮影で制服を着ることができるようになり、 そして締めくくりの卒業式。

その間に夫と私の人生観、価値観が変化し、子育てにも大きく影響しました。 周囲から見ていてもわからない内面的な変化が我が家には沢山ありました。

いよいよ来月からは高校生。 これからは自分からしっかりと将来に向けた学びをしてほしい、そう願います。

息子が卒業文集の下書きを書いたよ!

こんにちは!ポチママです。

息子、卒業文集の下書きを書きました〜!パチパチ

前回のブログでも書きましたが、どうも息子は夜中にふと書き始めるようで、今回も夜中徹夜して書き上げました。

もう文集のことは口に出さないでおこうと決意していた私ですが、ごめんなさい、1回だけ口に出してしまいました・・・。

「もう1月終わっちゃうよ?」と。

一応1月中に文集の下書きはやろうね、と言っていたので26日に気になって言っちゃったんですよね。

そしたら息子「分かってる!」と。

ほんまかいなと思っていたら、28日の夜中に書き上げ、そして29日に旦那さんが学校まで届けてくれました。

文集を書き上げてホッとしたのか息子の表情は穏やか。 本当に書けてよかった。

でもね、こう考える人はいると思うんです。

「そんなんじゃ社会に出てから仕事にならんよ、もっとサクサク進めないとね。」と

確かにそう思います。 仕事でこれじゃあ仕事無くなっちゃいますよね、信用されないし。

だけど今はこれで良い、と私は思っています。

正直な話、もう2年以上ほとんど字さえ書いていないんです。 S高等学校を受けるときに作文を書いたくらいで・・・。 病院の問診票さえたどたどしい字で書いてます。

その息子が500字ほどの文字で卒業文集の下書きをした、それだけでも凄いこと。

10年後の心配を今してもどうにもならないですもんね。 今は今できることを一つずつ積み上げればいい。

息子は卒業アルバムは購入しなかったけど、卒業文集はきっともらえるはず。 その文集が、息子の中学校の記憶を良いものにしてくれることを、 今はただただ願うばかりです。

卒業文集「書いてみようかな」

ご無沙汰しております!ポチママです!

年末年始が終わり、私の職場ではシステムの入れ替えでバタバタしております。

同じ部の隣の課のお仕事を手伝っておりますが、 元々の業務内容があまりにも違うので気の利いたこともできず、 しかも私の性分に合わない業務(システムへの打ち込みとか)で それなりに毎日消耗しております。

そんな中、息子も消耗するノルマが一つ。

それは「卒業文集」。

先日家庭訪問に来てくださった担任の先生から「卒業文集」のお話をいただきました。

そもそも学校に行った期間が短く、みんなと共有したイベントもなく、思い出もない。 学校に関わることは何も書くことがないと一旦は断りました。

ですがタイトルの見本を見ると必ずしも学校に関わることでなくてもいいし、 自分自身に向けた内容でも良いことがわかりました。

それならば、と息子の口から出た言葉は「書いてみようかな」。

”将来の夢” や ”10年後の自分へ” というタイトル。 S高等学校を受験するときに書いた作文をベースに書けるかもしれない、そう息子は言っていました。

少しでもみんながやることに自分も合わせてみようと思ったのかもしれません。 自分の中学校生活を少しでも記憶しようと思ったのかもしれません。 ちょっとしたチャレンジだったのかもしれません。 その息子の気持の揺れについて、私は聞きませんでした。

 

その家庭訪問から約10日。

息子の机の上にある原稿用紙を見てみると「白紙」。

なかなかスイッチが入らないんですよね、本当に。

息子が言うには、めちゃくちゃマイクラをやり尽くすとか、ユーチューブ三昧になった後にスイッチが入ることがあり、そういうときに書くんだとか。

まぁ、わからないことはない。 私もとことん自分を甘やかしたあとの方がスイッチが見事に入ることがある。

息子が自然と「やろう」と思える衝動を待ちたい気持ちもわかる。 そのほうが勢いづいているからサクッと書くことが出来る。

先生が言った期限は2月いっぱい。 でも早ければ早いほど助かると仰っていた。

さてさて、息子のスイッチはいつ入るのか。

もうすでに何回かは声をかけたので、もうこれ以上は何も言わずに待っていようと思う。

遅れてやって来た!?第一次反抗期

こんにちは!ぽちママです。

最近の息子、

「自分でできるから!」 「自分でやるから!」 「自分でやるから本当に口出さないでよ!」

っていうことが多いんです。

実は先日息子の誕生日だったんですが、ケーキのローソクに火を付けるところで一悶着ありました。

要領よくなんでもこなす娘がお皿を準備し、ケーキを冷蔵庫からだし、ローソクをちゃっちゃとケーキに刺し、マッチを準備。

娘がマッチをすろうとした時、夫の提案で急遽息子に火を付けてもらおうということになりました。 ここまでは穏やかな雰囲気が流れていた我が家でしたが、問題はその後。

マッチを受け取った息子に夫と娘があれやこれやと指導したり、見本を見せようとしたり。

息子は「なんで僕、初心者みたいな扱いになってんの??」と明らかに不機嫌そう。

火傷をしないためのマッチの持ち方について口を出したい娘を私と夫が宥めすかしてなんとか無事にローソクに火を付けだした息子。

ようやく6本中5本を無事に着火させました。

一旦、使ったマッチ棒を水につけるべく流しに持ってきた息子が残りの一本に火を付けるべくケーキのところに戻ると・・・

なんと娘がもらい火をさせて最後の一本に火を付けてしまっていました(涙)

自分で全部火を付けようとしていた息子に対し、手伝いたい娘。

空気が凍るってまさにこれだなと実感した瞬間。

元々穏やかな息子なのでなんとか爆発せずに堪えてくれましたが、夫も私も息子と娘の板挟みでそれはそれは寒い風に凍え死にしそうでした。

 

息子は1歳半頃からくる第一次反抗期がありませんでした。 自分でできるもん、自分でやるんだもん、そういうのがまったくなく、全てを私に委ねていました。

でも最近の息子を見ていると、まるで第一次反抗期のような気がします。

一体何度育ち直すのかと思うこともありますが、ようやく自分でどこまでやれるのか試したいと思える安心できる環境になったのかもしれません。 息子が1歳半の時は私から離れ、保育園に入れられたばかり。 安心して自分の力を試す余裕はなかったんじゃないかと思います。

ここを超えてまた一つ息子の自尊心が育ってくれることを願うばかりです。