コロナで小学校最後の運動会が中止になった娘。その代わりに…

こんにちは!ぽちママです。

娘の小学生最後の運動会はコロナのため中止になりました。 その代わりに「◯◯小学校 秋のオリンピック」なるものをやるようです!

クラス対抗でドッジボールやリレー、鬼遊びなどなど。 練習は一度もなく、当日に体育委員が中心になって準備をし、子どもたちで運営しようという試みです。

残念ながら保護者の観戦は禁止ですが、娘はちょっと楽しみにしている感じ。

こういうの良いな〜と思いました。 学校からのお便りからは、先生たちが楽しみにしている様子も感じ取れます。 熱中症の子を出しながら行進や準備運動の練習をさせるより、練習無しで子どもたち主体の楽しい運動会のほうがよっぽどいい思い出になるんじゃないかと思いました。

ブログで何度も書いていますが、息子は中学1年生の体育大会当日から不登校になりました。 当時の息子は転換性障害がまだ残っており、歩くのがやっと。 そんな状態での参加だったため、「クラスの足を引っ張っている」と感じることも多々有り、また、周囲からもそのような意見をさたりもしました。 練習が始まってから当日までずっと、同調圧力と連帯責任に苦しんだ結果の不登校でした。

コロナ禍でみなさん大変な思いをしているのに不謹慎かもしれないですが、もし息子が中学1年生の時にコロナ禍になっていて、体育大会が流れていたり、娘の小学校のような行事になっていたならば、そのタイミングでは不登校になっていなかったんじゃないかなと思います。

今年度はあちこちの小中学校で運動会が見送りになったと聞きます。 残念に思う子どもや保護者がいる一方、胸を撫で下ろしている人たちも居るのではないでしょうか。

ちなみに息子が転換性障害で入院する少し前に退院していった子は、運動会の練習中に転んでそのまま立てなくなってしまったそうです。

そういう大会系で闘志を燃やして頑張れる子、息子のように繊細で連帯責任や同調圧力に潰されてしまう子、必ず両方が存在します。 せめてそこから同調圧力と連帯責任を取り除き、繊細な子でも負担が少ない行事になればきっと大きな成果を得られると思います。

楽しい行事で良いんです。 軍事練習のような一糸乱れぬ行進やラジオ体操なんて要らない。 楽しむことと学ぶことは決して両極に有るものではない。 楽しみの中に、助け合い、協力、思いやり、沢山の学びがある。

娘の学校で開催されるオリンピックを想像しながら、そんなことを考えました。