行き渋りの段階で無理して学校に行かせようとした結果

こんにちは!ぽちママです。

我が子が行き渋りや不登校になった当初って親は必死に子どもを登校させようとしますよね。 もちろん私もそうでした。

息子が行き渋りになったのは小学6年生の12月。 冬休み明けの1月もやはり行き渋りは続きました。

なぜか毎回金曜日に行き渋っていた息子。 毎週金曜日はプログラミングスクールもあるのに、そっちも行けなくなってしまいました。 12月の下旬から1月はほとんど毎週金曜日をお休みしていました。

そして運命の2月中旬。 その日は3連休明けの火曜日で最後の授業参観の日。 この日、ついに私の堪忍袋の緒が切れました。

それまで金曜日お休みはなんとか堪えて休ませていたのに、ついに最後の授業参観まで行かないつもりなのかと。 今日という今日は何としてでも登校させる!!

そう強い思いを持って対応した結果が転換性障害で失立失歩でした。

転換性障害になったあとも学校に行けなくなってしまっては将来がない、そう思って私たちは必死でした。

「恐らく息子さんは学校が嫌いで、学校を休ませるということは疾病利得になってしまう。 その疾病利得がある以上、ずっと立てないままになってしまいます。 だからすぐにでも学校に復学させたほうが良いですよ。」

主治医にこう言われ、さらに私たちは必死になりました。 そして諦めたかのように息子も車椅子ながらに復学しました。

卒業後には無事歩けるまで回復し、中学校に入学した息子。 もうこれで大丈夫、そう思っていた私たちでしたが結局息子は半年の中学校生活で不登校になり、それ以来1日も登校すること無く義務教育を終えそうです。

でも今は家にいながらも元気に過ごしているし、まだまだ先は長いけど自分なりに自立しようと頑張っています。

不登校になったことで失ったものは少なからずあるとは思いますが、命と健康、そして心は守れました。

あんなに頑張って登校渋りに対応しても結局はここに落ち着きました。 気質は変えられません。 学校が合わないものは合わないんです。 無理に登校させて心身ともに壊すくらいなら、本人の成長を待って社会に送り出すトレーニングをしたほうがずっと良い。

みんなと同じタイミングでは社会に出れないかも知れない。 みんなと同じような働き方は出来ないかも知れない。 でももうそんなことはどうでもいい。

みんなと一緒である必要はないということを本人と親が割り切ってしまえば、きっとどうとでもなると、そんな気がします。