学校とは組織ありきの教育をするところ 〜不登校に罪悪感を抱く必要はない〜

こんにちは!ぽちママです

息子が不登校になった時、持っていた感情は「学校への強い拒絶感」と「罪悪感」でした。
学校に行きたくない、もう嫌だ、でも他の子たちがちゃんと行っているのに自分は行けない、そんな自分には価値がない。

裏を返せば学校があるから息子はそんな苦しみを味わっていたのです。

学校の教育は組織ありきです。
組織のための個人です。
組織を回すための個人のあり方を学ぶ場所であり、組織の中で評価される方法を学ぶ場所。
求められていることは、組織からの要求に対して従順に従い、成果を出すこと。
その要求に対して疑問を持つことは、管理者の「想定内」の範囲でしか認められない。
そして学校は、たまたま生まれた場所で自動的に決まる。

それが自分では何も判断できない6歳の時から始まります。
そして9年間の義務教育で組織というものをみっちり叩き込まれ「人は組織の中で生きるしかない」と思わされていきます。
だからこそ不登校の子は「組織でやっていけなかった」罪悪感や焦りや劣等感を抱き、苦しむことになると思います。

でも人には個性があります。
組織の前に、まずは一人一人の人間。
組織に属することが向いている子もいれば、向いていない子もいます。

自分の将来役に立たないことでも時間をかけてやらされることが辛い、
体育大会などの連帯責任が辛い、
無意味なルールを守らさせることが辛い、
そもそもやる気のない先生の授業を受けることが辛い、そんな時間があるなら将来役に立ちそうなパソコンを使うようなことをとことんやりたい。

不登校当初、息子はポツリポツリとそういうことを言っていました。

疑問を感じることは何も間違っていない、その疑問を受け入れられないこともまた間違っていない。
様々な疑問や葛藤を自己解消しつつ学校生活を送ることも、また間違っていない。
自分の生き方を考えたときに、現状をどう受け入れるかは人それぞれだから。
良く頑張ってきたね。
一旦休もうね。
またいつか学校に行きたくなったら行けば良いし、そうでなければ違う道を探せば良いよ。
休むこと、組織から外れることに「罪悪感」など抱く必要はないよ。
そもそも無理して組織に属さなければ生きられない時代じゃないのも知ってるよね。
何よりも、明治時代から変わっていない学校に馴染めないことは、現代を生きることになんの支障もないよ。

「拒絶感」を受け入れ「罪悪感」を取り除く。
息子はなかなか罪悪感を取り除くことが出来ませんでしたが今では綺麗さっぱりなくなりました。
そして同時に少しずつ元気になりました。

これからもどんどん元気になって、自分の求める学びを追求して欲しいと思います。

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